二人のクリザンテーム(菊)

Madame Chrysenthème & La Japonaise
二人のクリザンテーム(菊) 編集中

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昨夜(2013年10月15日)、マダム・クリザンテーム(お菊さん)のことを調べ検索しているうちに偶然こんな写真が出てきて、はっとしました。

誰であるかという説明がないけれど、すぐにあの人だとわかりました・・・


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左は熊本県立美術館で開催された「レオナール・フジタとパリ展」に展示された「山田キクの肖像」。7月31日に見に行ったその日のことブログに書きました。

私は藤田嗣治の描いたこの絵を見るまで、山田キクのことを全く知りませんでした。

興味を感じて取り寄せたのが下の本『ラ・ジャポーネーズ キク・ヤマタの一生』矢島翠著です。

まだちらほら飛ばし読みする程度なんですが、彼女のことが気になっていました。

この本の序文に「美しいとはいえなかった・・・眉が濃すぎるし、顔のわりに目鼻立ちが大きく、歯の出た口もとに難があった」と書かれています。「しかしのびやかに照り映えるその笑顔は、見る者の心をとらえたようである」。


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この本はこんなふうに始まります。

その小さな日本娘がパリの文学サロンに姿を現したのは、1923年の6月頃である。キクという名前からフランス人はすぐ、有名なピエール・ロティの小説の主人公を連想したに違いない。娘の父方の郷里がナガサキであると聞けば、なおさらのことだったろう。あたかも『お菊さん』の文豪は、娘がサロンに登場したのと前後して世を去り、国葬の栄誉の包まれたところだった。


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この本に載っているキクの写真。「1920年代前半、渡仏前後のころか」と説明されています。

上の文章の続きです。

海軍士官として日本を訪れたロティが、ひややかな眼で観察した<ムスメ>たちと同じように、このキクとよばれる娘も、人形のように小さくて行儀がよかった。

(略)

しかも、長崎のお菊さんと違って、このキクは、フランス語がわかるのだった。お菊さんとロティの間にはたがいに心の通う会話などなり立つすべもなく、ロティは、ただ彼女の寝姿を見ているかぎりでは「非常に装飾的」であり、「少なくとも私を退屈させない」と、残酷な感想を述べている。それに対して、小さなキクのほうは、非のうちどころがないフランス語を操って、サロンの会話に加わることができた。さらに、一種の燈明な魅力を持った正確な文章さえ、書くことができたのである。

続く

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