久邇宮朝彦親王

久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)

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出典:徳冨蘇峰著『維新回天史の一面 : 久迩宮朝彦親王を中心としての考察』

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家近良樹教授
1950年大分県生まれ
同志社大学文学部卒業
大阪経済大学教授

左の文章を書かれたのが、この家近教授。1998年発行の『AERA Mook 幕末学のみかた』(朝日新聞社)という本のなかの“幕末学の研究者12人”のなかに家近先生が取り上げられています。先生が選ばれた“幕末維新期 私のキーパンソン”がこの朝彦親王。

この本、私の亡父の蔵書にありました。先生の写真はこの本の出版当時。約15年まえですね。(2013/11/03)

家近先生の左の文章にある「ニヤッーと笑っている」お顔が、上の朝彦親王の写真だと思われます。

青蓮院宮または粟田宮→獅子王宮→中川宮→賀陽宮(かやのみや)→伏見宮→久邇宮という宮号の変遷があったそうです。通称中川宮(なかがわのみや)と呼ばれる。

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神宮皇學館大講堂

1882年(明治15年)に伊勢神宮祭主であった久邇宮朝彦親王の令旨によって神宮皇學館が生まれ、それが現在の皇學館大学の前身。朝彦親王は皇學館大学の創始者でもあります。

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東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)

太平洋戦争敗戦直後の1945年(昭和20年)8月17日から1945年(昭和20年)10月9日まで敗戦処理内閣の内閣総理大臣(第43代)を務めた東久邇宮 稔彦王は久邇宮朝彦親王の第九王子。皇族が首相となった内閣は史上唯一。在任期間は54日間で史上最短。

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昭和天皇(左)、皇后(右)両陛下。

久邇宮朝彦親王の第三王子・久邇宮久彦(くによし)親王の第一王女・久邇宮良子(ながこ)は昭和天皇の皇后、香淳皇后(こうじゅんこうごう)です。つまり朝彦親王の孫が昭和天皇のお后になられたわけで、今上天皇以下の皇族は朝彦親王の血統であるということです。

つづく

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