画神

画神

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竹田荘公園 2013/03/30
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竹田荘公園 2006/11/24

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竹田荘公園 2014/02/10

階段の上に見えるのが江戸時代後期の南画の大家・田能村竹田(たのむらちくでん)の旧居跡・竹田荘(ちくでんそう)。春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色が美しい。ここで多くの弟子が育ちました。直入先生もそのひとりです。

この竹田荘公園に、「画神」の二字を彫った石碑が建っています。

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2013/03/30

画の字は旧字体です。
下は石碑の右横にある説明パネルです。

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2013/03/30

二品朝彦親王久邇宮殿下御筆とあります。
久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)から明治10年に賜った“画神”の文字を彫ったんですね。二品(にほん)というのは、一本から四本まである親王の位。下が久邇宮朝彦親王です。

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出典:徳冨蘇峰著『維新回天史の一面 : 久迩宮朝彦親王を中心としての考察』

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『田能村直入と児玉果亭 : 明治の文人画盛衰について』という小論文のなかに、京都市左京区若王子の「画神堂」の玄関に掲げられている額の写真が載っています。明治35年8月に直入先生が新築した家の玄関です。

ここを南画塾とし、南画家故人を祀り、久邇宮朝彦親王を招いたという。

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上記論文のなかに載っている「画神堂」の奥座敷。
そこに「画神」の掛け軸が見えます。

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「画神」掛け軸を拡大しました。
この文字、明らかに竹田荘公園の「画神」の文字と同型。碑文のもととなる久邇宮朝彦親王から賜った掛け軸なのでしょう。

豊後竹田の竹田荘公園の「画神」の文字の原本は、京都市左京区若王子の「画神堂」にあるということです。“哲学の道”の起点だという。むかし、このあたり何度も歩いたけれど、「画神堂」のこと全く知りませんでした。京都に行く機会があったら、ここを訪ねてみたいと思います。

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2012/10/12

竹田荘公園の「画神」の石碑の話にもどります。
石碑の裏面です。

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漢文の知識は高校の漢文の時間に習った水準のままなんですが、この碑文の冒頭の文字は読めます。

いにしえに画神を祭る者あり

私は初め、直入先生に対して「画神」という称号を賜ったのだと思ったのですが、そうではなかったようです。

古来、日本には八百万(やおろず)の神々がある。山の神、田の神、かまどの神、風の神、雷の神、水の神そして米の一粒一粒に神がおられる。

とすれば当然、絵画の神様もあり、その神を敬い祭り精進することで、画家は人間の限界を超え、神業のような絵筆をふるうことができるようになるかも知れない・・・

ここ豊後竹田は軍神・広瀬武夫中佐の生まれ故郷であり、神となった彼を祭る広瀬神社があり、最近(2010年)も総事業費2350万円をかけて竹田市立歴史資料館の広場に広瀬武夫のブロンズ立像が建立されました。

ところが絵画の神様のことは、どんどん忘却され歴史の闇に消えつつあるようです。


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「画神」の石碑の裏面の最後に、この石碑に刻まれた直入先生の漢文の書かれた日付と先生の名が記されています。

建国紀元二千五百四十四歳。
つまり西暦1884年(明治16年)です。

旧岡藩人 阪府士族 京都画学校摂理兼教頭 小虎■人 田能村癡(※)。

※癡(ち)は痴(ち)の本字(略字や俗字に対し、もとになった本来の漢字)。おろかという意味。痴呆、痴人、痴漢の痴。

直入先生が京都画学校を辞職されたのは明治17年ですから、明治16年の時点では先生はまだ摂理(校長)の職にありました。

阪府というのは大阪府でしょうか。
先生は京都に移られるまえ、初めは現在の大阪府堺市ついで大阪市で活動されています。それで阪府士族と記されているのでしょうか。

直入先生は雅号をいろいろ変えられています。小虎もそのひとつでした。

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2006/11/24

2006年に撮りました。
竹田荘公園の「画神」の石碑(右)に並ぶ小河一敏記念碑(左)。
このときは何となく撮りました。

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2013/10/12

今秋撮りました。二つの石碑には関係があったんです。
ふたつの碑が並んでいる意味がありました。

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2013/10/12

左の小河一敏記念碑の裏に久邇宮朝彦親王篆額と刻まれていました。

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2013/10/10

石碑の上部の篆額(てんがく)。
碑銘・はんこ等に使う文字、篆書体(てんしょたい)。

碑記一小
 年敏河

右から立てに読んで小河一敏記念碑。

これを久邇宮朝彦親王から賜った。旧岡藩士・小河一敏記念碑のために賜った文字を彫ったわけです。

「画神」の石碑と小河一敏記念碑には、共に久邇宮朝彦親王から賜った文字が彫られている・・・

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