田能村直入
豊後竹田出身、京都芸術大学創始者
最後の文人画家
田能村直入(たのむら ちょくにゅう)
田能村直入
自然の雄大さに惹かれ、縁もゆかりも無い九州大分県の内陸部・豊後竹田にiターンしたら、そこは不思議なことに自分の母校の創始者である田能村直入先生の出身地でした。
田能村直入先生は、文化11年(1814年)に旧岡藩・豊後竹田に生まれた最後期の文人画家です。27歳のとき大阪の堺に移って画塾を開くと、300人以上の門弟が集まったという。
明治元年(1868年)54歳のときに京都に移住し、明治11年8月に当時の京都府知事・槙村正直に画学校設立の建白書を提出。府は翌年1812年1月21日には開校の布告を出しています。
そして翌明治13年6月には太政大臣三条実美公により「日本最初京都画学校」と命名され、7月1日には京都御苑内旧准后御殿を仮校舎として開校式を挙行しています。
このものすごいスピードの背景に何かがあります。そして田能村直入先生が京都府画学校の初代校長&教頭に就任されます。
これがのちの京都市立芸術大学で、私はその卒業生(昭和54年 美術学部西洋画科卒)です。京都芸大に入学したとき講堂に集められて、九州の山奥出身の先生がこの大学の創始者であると聞いたことをかすかに覚えています。なぜ地元京都出身の先生ではなく、九州の山奥出身の先生が芸大の創始者なんだろうと不思議に思ったので覚えているんです。(つづく)
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