八雲が愛した石仏
小泉八雲が愛した石仏
小泉八雲遺愛の石仏(鼻かけ地蔵)
五高(現・熊本大学)の裏、立田山(たつだやま)の上り口にある小峯墓地(おみねぼち)。この墓地の中でひっそりと立っているのが『鼻かけ地蔵』。鼻がかけていることからそう呼ばれています。
五高教師だった小泉八雲(こいずみやぐも)は、五高の裏山にある小峯墓地がお気に入りでした。授業の合い間によくここを訪れたそうです。
『丘のてっぺんからの見晴らしは、なかなかいい。ひろびろとした万緑の肥後平野が一望のうちに眺められ、そのむこうに、青い、ゆったりした山脈が、半円形をなして、遠い地平線の光のなかに映え、そのまたむこうには、阿蘇火山が永遠に噴煙を吐いている』
八雲は墓地で石仏を発見する。
『この仏像は、加藤清正時代から、ここにずっとこうして座っているのであって、じっと瞑想にふけっているようなまなざしは、はるか脚下の学校と、その学校のそうぞうしい生活とを、半眼をひらいたまぶたのあいだから、しずかに見下ろしながら、身に創疿をうけながらも、なにひとつ、それに文句のいえない人のような、莞爾とした微笑をたたえている』
蓮華座の下には、正面に「宝暦
六歳時
丙子
十二月日
大乗妙典一石一字塔」の銘の入った石の部分がある(図6)。銘文から、その石部は宝暦
六年(一七五六)に制作されたことが知られ、一石一字塔と石仏本体が制作当時からこの形式であったならば、石
仏も江戸時代中期の作例であると考えられる。加藤清正時代とは開きを認めるべきであろう。